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【2020 6月末ビール奢り進捗月末報告】

・【どぽぽ、鬱病が再発する。】 今月頭は(精神科で処方された)薬の副作用で地獄のような苦しみを味わった。 その時、断薬して療養していたのだが、その反動で鬱病が再発してしまった。 俺は完全に(精神科で処方された)薬物中毒者である。 今月中は治療に専念してたが、思うような薬が見つからない。レクサプロが効かない。 Twitter恐怖症にもなってしまった。 ツイートすると誰かにリムられるのではないか。そのような恐怖心でツイ数が今月中圧倒的に減った。 それと比例するように対人恐怖症も悪化し、外でリフレッシュする気力が沸かない。外が怖い。 更に、もう俺は26歳に近付いているというプレッシャー。 少年漫画の新人賞を見ても、23歳前後の若い世代が主な受賞者だ。 俺は、何者にもなれないのか?俺の漫画は、単行本化され書店に並ばないのか? 今まで漠然と俺は漫画家になってる。というビジョンだけ思い描いて丁寧に画を描いていたが、焦りがぐつぐつと募る。 恐怖心が襲う。 焦ってるのに、鬱による無気力症状で、一日一コマ描ければ御の字というカタチだ。 というわけで、抜本的自己改革をすることにした。 ・【16P以下ショート部門、狙います】 このメンタリティでは、今まで描いていた58ページの原稿が、完成まで更に遠のくと分かってしまった。 賞を掴むには、大作で一発逆転を狙う年齢を過ぎてしまったのかもしれない。その道しか無いと気付いた。 今まで描いていたものを捨てる。非常に重い決断だ。 だけど俺は絶対に漫画家になりたい。 取り敢えず、現在、鬱に苦しむ中でも、プロットの大枠は思いついて、今まで描いたページを流用して、数ページ、ネームから取り組んでいる。 再発鬱の影響で無限に無気力感が襲う中だが、這いつくばっても、十字路で悪魔に魂を売ってでも漫画家になりたい。 もう少しだけ、時間がかかりそうだ。 今年中に鬱が治って完成すれば最高なのだが。 ・【今後の展望】 一番の問題は、心理状態だ。 俺は将来的に漫画家になるために社会不適合者の道を選んだわけだし、漫画家になれなかった人生など考えてなかった。 だが、今一度考えなくてはならない年齢に差し掛かってしまった。この20代の折返し地点。 そのことで頭が一杯になり、ネットはYouTubeで音楽鑑賞することが精一杯

シュナイゼルに協力したナナリーの本心。

前項で、ルルーシュの「明日論」とシュナイゼルの「今日論」を解説した。 今回は補足分となるだろう。 ナナリーは、シュナイゼル側に自らの意志で付き、フレイヤの発射キーを握っている。 我々も、シュナイゼルの今日論に基づく平和は、人類に平和をもたらすシステムだと確かに理解もできる。ダモクレスなら、世界から戦争はなくなるのだ。 【 シュナイゼルとは違う、ナナリーの「今日論」 】 では、ナナリーは「明日」ではなく「今日」を求めたのか? 違うのである。 コードギアスR2最終盤のあの状況下では、ナナリーにとって、それが平和への最良の選択であった。 そしてナナリーは、 ルルーシュと共に暮す「今日の経験」だけの未来 を求めているのも確かだ。 ギアスの根源は、ルルーシュの論を説けば、願いであり、明日を求め抗うものである。 シュナイゼルとナナリーの論を説けば、人の意志を捻じ曲げる卑劣なものである。 両方とも、正論だろう。 ルルーシュは、その両方を理解してた。卑劣な力を行使した贖罪として、ギアス能力の総括を、ゼロレクイエムを実行した。 しかし、それはあくまで、人類を「明日」へと進めるためのものである。 そして、ゼロレクイエムの深奥は、達成されれば、世界は交渉というテーブルに付き、明日を迎える事ができる。というものだ。 ナナリーは、キールームで、ルルーシュと対峙した時、ギアス能力の本質を見抜けなかった。 ただルルーシュとの「今日」を望んでいた。しかし、一つだけ言葉をルルーシュに投げかける。 「憎しみはここに集めるのです。」 ナナリーはギアス能力の本質、そして「明日論」を理解していなかったが、ルルーシュとの合意点を示したのだ。 ここに、対峙してからナナリーとの合意点を模索できなかったルルーシュは、ナナリーを「立派に自分の考えで生きている」と受け止め、ナナリーにギアスを放った。 ナナリーはシュナイゼルと違い、欲もなく、人を見下し生きては居ない。 他人への感謝を伝える心も持ち、世界を平和にしようと模索し、今日に抗う形で、シュナイゼル側に付いた。 ナナリーもまた、明日を求めて、抗い生きているのだ。 ナナリーはシュナイゼル側に付いたが、シュナイゼルとは決定的な考えの相違が、上記だ。 憎しみを一点に集めるという意志は、ギアス能力総括で

ルルーシュの明日論。シュナイゼルの今日論。

最近、コードギアス反逆のルルーシュ1期2期TV版を見終えた。 一気に見終えたのは本放送以来だ。 劇場版公開時に一気観しようと思っていたけど、結局は出来ずじまいだった。 劇場版は見に行ったし、アマゾンプライムにあった頃も再見したが、やはりテレビシリーズの積み重ねが、この作品のキモなのだと確信を得た。 テレビシリーズを10年以上前に見たあの時から僕は成長したし、見方も変わっている。 少しだけ考えたいことをまとめてみる。 【 本題 ~ルルーシュの求める明日、シュナイゼルの求める今日。 】 僕が今回着目したいのはR2、特に終盤のルルーシュとシュナイゼルについてだ。 当初、ルルーシュはシュナイゼルには勝てなかった。それは幼少期からでもあり、R2前半部のチェスのシーンでもルルーシュはシュナイゼルを負かせることはできなかった。 終盤に差し掛かると、ルルーシュは、思い出の世界・過去の世界だけに執着したシャルルとマリアンヌを涙ながらに討つ。「時の歩みを止めないでくれ、それでも俺は、明日が欲しい」と。 そして彼はスザクと共にゼロレクイエムへと歩き始める。 世界を「明日」へと向かわせることで、世界に対して贖罪するように。 そう、本作の主目的であるシャルル打倒は、「明日が欲しい」という言葉(神に対する願い)で成された。 ここでルルーシュは、世界の人々を「明日」へと進めることが最期の努めだと悟ったのだ。 ゼロレクイエム発足当初、ナナリーの生死は不明であり、ルルーシュとスザクはナナリーの求めた優しい世界を、「人々が明日を求める世界」として完成させることを主目的にゼロレクイエムは動き始める。 一方、シュナイゼルは天空要塞ダモクレスでのフレイヤ攻撃で世界征服し、核抑止による平和のもと、世界を「今」の平和で固定しようと考える。 シュナイゼルは、それが世界の人々のためという思想を持っている。彼の思想は、理解できない話ではない。 そして、最終盤におけるルルーシュとシュナイゼルの最終決戦。 ルルーシュの録画映像のアレだ。 昔見たときは違和感があったが、それは違っていた。ルルーシュはシュナイゼルの思想を完全に理解し、チェスのようにシュナイゼルを「詰み」にした。 明日を求めるルルーシュは、今日を求めるシュナイゼルの思想を理解し、まるで数手先まで読んだチェス