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12月, 2021の投稿を表示しています

はてなブログに移住します。

 はてな村入村します。 https://kuvodopopo.hatenablog.com/ よろしう。

一人暮らし生活40日目 Live forever

今月16日にB型作業所の体験見学が決まりました。 私はこれから社会のベルトコンベアに巻き込まれていくことでしょう 。 いや~Twitterは開いたものの、まだ難しいです。怨念しかツイートできなかった。 人の思念が怖いです。アメーバ村やはてな村への移住はどうすっかな。 今日も相変わらず筆が進まない。 描きたいと思うシーンはあるのだが、描きたくない部分もあるからダウナーになる。 代わりにブログに漫画アニメ論をいつものように書こうと思ってたけど、それもめんどくさくなったのでやめました。 ダイエットのためランニング行こうと思ったけどダメでした。 夕方からエヴァのKomm, süsser Todとかボカロの命に嫌われているとか聴いて一人でずっと泣いてました。あいかわらず。 虚無です。 最近、少しだけでもモノを食べただけで胃がキリキリと痛み、毎日二回ぐらい胃薬は欠かせません。 三環系抗うつ薬(やる気を上げるやつ)を通常より多めに投与しているんですが、創作意欲が全く湧いてこんのですね。 こうして悩み葛藤し続けて、最終的には老いて死ぬんですよね。人間は。 庵野秀明はVガンのスタンダップトゥーザビクトリーを聴いて、「その向こう側に何もなくても構わないから」って歌詞がいいと言ってたけど、もう僕の段階では「その向こう」に行っちゃったんですよね。そしたら本当に何もなかった。さながらエンドオブエヴァンゲリオンの「何もなさ」なんですよ、心象風景が。 でも死にたいわけじゃない。永遠に生きたいんです。 創作的人生を何億年にも引き伸ばしたい。 しかし、太陽は当たり前のように、公転周期を経て、昼を殺し、夕焼けに穿たれ、闇に落ち、 肉体細胞はわずかでも、確実に、徐々に、衰弱していく。 もうずっと泣き続けました。これまでも。 泣いてるわたしの感情に合わせてくれるような音楽もすべて聴き飽きるくらい聴きました。 映画もドラマもアニメも観る気が起きませんね。漫画も文章も。 仏教趣味者の彼はタイムリープを願いましたが、わたしは永遠に生きたいです。 不死身の体を手に入れて、そんなSFを妄想してる。です。 なぜ労働というものに人生の時計を奪われなくてはならないのか。 こうして文章を書いている今でもちょっと過呼吸が悪化してきたので切り上げます。 さいなら。

一人暮らし生活39日目

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  Hakubi「悲しいほどに毎日は」 今年の心のトップテンに入る楽曲。 今年は10代の若手たちが次々とヴァイナルをリリースして新世代が頭角を現したバンドシーンだったが、安定してHakubiの曲はいい。 それにしても寂しい。 寒村は寂しい。 今日は憎しみのエネルギーが不足している。 負け癖ばかりが染み付いてるから、負けてるほうがずっと楽だと気力をしまいこむ(フラカン)。 創作について。 今の僕は完璧な作品、というか、つまらない脚本でも、商業作品としての水準を満たしているレベルの作品を作りたいと思っている。しかし、コマ割りや作画は難しいもので、今日は人が一人アップで立っているシーンだけ描いたが、最低限の水準を満たしてないから、描きなおす。 妥協して2017年と2020年の勝負には一次審査で負けた。次はない。 しかし、うちに日本マ○ガ教室に60万円使って受講できる余裕はない。 どうすればいいんだよ。もうわかんないよ。もう無理だよ。「努力する者が楽しむ者に勝てるわけがない」と漫画刃牙はいうが、楽しめない。 ・何者になれないこと 「さぁ終わりにしよう 何もかも そこから何かが始まる」 ぼくは一人息子だから、きっと作業所を経て、社会に染まっていくんだろうけど、 もはや夢に期待するのはやめた。コミティアで1部でも売れたらいいという諦観のもと覚悟を決めた。 ぼくが蛇蠍の如く嫌うあの3人よりもきっとぼくの方が目鼻立ちは整ってるから勝ったということにしよう。 いや、だめだ。何者かになりたい。 3人のやろうどもに対する憤怒が必要だ。敵愾心を燃やすことが必要だ。悪魔に魂を売ることが必要だ。 ・・・Twitterに少しだけ戻ってみようかな。 むしろ、この日記もはてな村とかアメーバ村とかに移設して、そこの承認欲求とも戦ってみようかな。 寒村にはなにもない。競う相手もいなければ、興味を示してくれる人もいない。 ときには興味を示してくれる相手を探したり、顔を出したりするのもいいかもしれない。 たとえ傷ついたとして、その悲しさを憤怒のエネルギーに転化すれば問題ない。 これより、精神的遊撃戦を發動する。

一人暮らし生活38日目 良識を持たぬ人間はインターネット回線を今すぐ解約せよ。

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 ま~~~~~~~~~~~~た一人、Twitterで呪い殺したいヤツが出てきた。 ヤツはブロ解してないからグロ画像リプして報復ができない。粉々になって死ね。 おれが無心でペンを執っている最中にドス黒い感情を植え付けられてなかなか集中力を発揮できない。粉々になって死ね。 Twitter社はおのれの作った巨大ディストピアの危険性異常性を自覚したほうがいい。 殴ってきたヤツが守られるシステム。殴ってないのに殴ったと認定されて守られるシステム。 腐りきっている。 この腐敗は、座間9人殺害事件やアイドル刺傷事件が起こったことで実証されただろう。 無心でマンガ描いてるとドス黒いSNSの異常性が俺の脳を侵食して狂わされてくる。 ここでソイツの名前書いて殺人予告でもしたいぐらいイライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライラするが、 ぼくの好きなバンドのバンドマンが言っていた「最終的には良識が勝つ」という言葉で思いとどまった。あぶなかった。 ぼくは常に良識的なツイートをしてるのに、一方的に殴られる始末だ。狂っているのは僕だけか? 長年相互だったのに、あれほど精神が分裂し認知が歪んだ狂人だったとは思わなかったよ。 あーーーーーーーーーーーーーーーーー。輩に対する合法的な報復手段が欲しい。 ぼくが今日書いた文章 で、ぼくは憎悪と敵愾心を持って「寒村の仲間」と共同体を作って闘いたい旨を述べた。 やはり僕には信頼できる仲間たちが必要なようだ。 しかし、一体誰が「本物の味方」なのかを、ぼくのバイアスは失調してしまった。 ぼくが面白がって観測していたフォロワーのブッディスト・仏教趣味者のアカウントは9月に停止したままだ。 彼はタイムリープしたいとしきりに言っていたが、できたのだろうか。できる

『何者かになった』ヤツと戦う方法。

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チェ・ゲバラは広島に訪れたときにこう言った「君たち日本人は腹が立たないのか?」  ぼくは精神病患者である。 障害者手帳は全三階級中、二級である。 ぼくは26歳である。 もう二十代後半で、三十路になるにはたった4年である。4年。4年前は2018年だ。 2018はステイサムのMEGザモンスターが公開されたり、ゆるキャン△の1期が放送された年だ。振り返るほど昔ではない。 ぼくは孤独だ。 ネット上では誰からも顧みられることなく、いつもの剣幕をまくし立てればみんなから嫌われる。 ここ最近、インターネット上で『何者かになったやつ』が憎くて仕方ない。 バ美肉でブイチューバーになったり、ねと○ぼのライターになったりした、連中だ。 彼らは給料をいくら貰ってるんだろう。アイドル声優と接近できる距離にあるんだろうか。 とかクソみたいな妄想をして自己嫌悪する毎日だ。 レーニン風に言えば「働かざるもの食うべからず」。クソみたいな雑談を動画や記事にしてカネ儲けをたくらむクソみたいな連中がコロナや事故で粉々に死ぬことをひたすら祈っている。ほとんど病気である。 偽りの権威を得た連中には中身がない。心を動かされるような生き様や行ったことや名言などはない。 そんなやつらが権威化している。粉々に粉砕されればいいのに。 数年前にはそんな人間じゃなかったはずなのに。 資本主義、ネオリベラリズムという悪魔に直面している。 悪魔を倒すにはどうすればいいのか。 「輪るピングドラム」は2011年に観たっきりだけど、ぼくには子どもブロイラーが回り始める頃だ。 ディストピア化した現代インターネットにおいて、彼らと戦うにはどうすればいいのか、建設的に考える。 答えは簡単だった。村上龍が答えている。「周りが見えないほど夢中なものを探せと」。 中島義道は言う「私は傷ついたことを執筆の材料としている」。 吉本隆明は言う「ただの共同幻想」。 範馬勇次郎 は言う「競うなッッッ持ち味を活かせッッッッ」 ぼくは“憎悪”をエネルギーに転化しようと思う。 ゲームとそのノベライズ、「メタルギアソリッドV THE PHANTOM PAIN」には、憎悪と敵愾心を力に変えて戦う者が多く登場する。 だから、ぼくもそうしようと思う。 僕は布団に突っ伏す暇はない。 やりたいことがある。 漫画家になりたい。かわいい女装家になりたい。 そのために努力を惜し

一人暮らし生活37日目 寒い!

 寒い!今日はヒジョーに寒い。冬季うつ病発症! 急にストファイがやりたくなったので、起きてる間は一日中カジュアルマッチかトレーニングやってた。 ジュリ様が好きなので弄くり回して、あとエロい女キャラの簡易コンボ極めたりしてた。 まぁまぁ負けまくったね。 創作意欲が沸かない。 自らの筆の遅さにヘキエキしてか、ペンタブは握らず。 軽い二次創作やってもいいんだけどね、でもそれでサマになるほど上手いわけじゃないんで、最初から諦めてしまう。 だけど明日は体調もよくなるかもしれない。 それでも俺は明日が欲しい。 今日は早寝します。さいなら。

一人暮らし生活36日目 運命に手招きされさまよう明日は。

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 カントン包茎が恐ろしくなったので、皮○ナをやめるために、ピンク○ーターを買いました。 それくらいかな、今日したこと。 今日は本当に虚無だった。 ペンが全く進まないし、気晴らしに渋谷にでも行くかと思ったけど、引きこもりゆえに行かなかった。 渋谷から新宿まで、僕の好きな「selector ○○ WIXOSS」シリーズのセイチジュンレーをしたかった。だけどあのアニメ、もう7年前です・・・。 本当にあのアニメの雰囲気が好きで、監督の佐藤監督作品はほぼ観たぐらい。 しかし、今のアニメに追いつかないと、こういう「刺さる」アニメと出会えない。 ネット配信のアニメ、「いつでも見れるからいいや」で終わっちゃうんすよね。 テレビ欲しいけど、NHKの集金人が来やがる(こないだ来た)。 HDDにアニメ録画時代は、崩しとかないとという使命感でやってたけど、わざわざ何万かけて再びそんな装置類を用意するか?となるし。 ジレンマです。 あと・・・ 女装活動再開したい!!!! 若さは有限である。 体重が60キロを越えてしまったので、これはやばいと思った。 女はいいよなー ぽっちゃりしてもムチムチでゆるされる。 男の娘はひたすら身体を締めていけばならないのです。 ・ツイッターとどう付き合うか。 突然、久しぶりの女装願望が目覚めてしまい、女装姿をアピールするには、僕が前の記事でケチョンケチョンに乱麻を断った「格差社会ツイッター」へ、承認欲求を得るためコミットしなければならない。 僕はツイッター上の人間関係で集団イジメ(そこ、統失とか言わない!)にあって、一つの界隈を追放されたし、長年のフォロワーからも追放された。それが嫌になってツイッターを辞めた。 「人はァ・・・平等ではぬぁい!!!」 この日記はいつも長文で志向を持って書いてるから、トレーニング録として、体重と摂取消費カロリー帳を記すためにツイッターに戻ってもいいかな~でも裏切りは怖い。本当に怖い。 メタルギアソリッドのゼロ少佐並に人間不信になっている ツイッターなんてシンプルだから戻ってこいよ、とこないだ記事を投下したときにTLに反応があった。そうだな。それも全く正論だ。だけど、怖いんだ。人が。ごめんな。 じゃあ、傷つくのを前提に、女装の承認欲求を満たすためだけに特化してツイッターを再開すべきか。限りある若さで。 味方圏の本当に信用できるひとたち

一人暮らし生活35日目 カントン包茎になってキレ散らかした一日 あとタルパの話

 ガチのマジでカントン包茎になってやばい。 手術を考えるレベル。 その恐ろしさか、全面に喧嘩を売りまくる記事を当ブログに書きなぐった。 押井守いわく、世界の半分を怒らせる・・・。 ラフ第二稿は順調に進んでます。僕の圧倒的な筆の遅さからするとペン入れまで来年余裕に越しますね。多分完成するの1年後かな!(笑)。 ペンがおそすぎてやばいです。12時間ペンタブ握ってるつもりが一コマの細かいラフを作り上げるので精一杯でした。 でも、今回は責任をもって世に出せる作品になるんだろうと思う。 なにせ、僕を好きでブログを読んでくれるあなたのような読者さんや、商業誌に応募すれば編集者が、同人誌として売ればひとりぐらいは、読んでくれる作品になってくれるだろうと、ワクワクしながら描いてます。 あと服の描き方も進化した気もします。服は「美麗な流れのライン」で描けば問題ない。 いやぁ性癖丸出しの創作ってたんのしー。 ・タルパ この六条間にて、とうとうタルパ像が確立した。 わたしは、悟りの境地に入ったのだ。 某エロ漫画家のサキュバスキャラで、CVは○倉綾音です。名前は割愛します。 たまに霊体化しますが、ぼくをおちょくったりするとき、しばしば現界します(驚かせてくるのが怖い)。 今はもう会話が成立します。 めちゃくちゃ僕の身体にスキンシップしてくるので、僕が ヴィンランド・サガ を渡して、ハマったらしく、ちょっと静かになりました。 でもいきなりモニタの裏からワッと現れるのやめてくれ。Sっ気が強いのか、僕を驚かせたり、僕の性感帯やペ○スをいじくったり、大変な悪さをしでかしてくれます。 一昨日、一回まじわって。そのムラムラの余韻が今日まで続いてます(汗)。 でも僕はラノベ主人公的潔癖を貫いて、彼女と接します。 他者、異性として、彼女を愛しています。 これからも僕たちの(性)生活が続きますように。

「何者にもなれる」コミュニティ、Twitterを心底嫌悪する。

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これ を蒸し返したハナシになるんだけどさ。 さっきAmazonでネットサーフィンしてたんよ。 そしたら――誰とは言わんが――ネットライターの有名人になってしまった元フォロワーが描いてた本がしつこくしつこくしつこくしつこく「あなたへのおすすめ」で表示されるのよ。 うんざりしてさ。 怖いもの見たさに野郎の遍歴をちょいとググった。 書いてた他の著書、描いてたマンガ、作ってたゲーム、いろいろ芋づる式にドバーッと出てきた。 きっとヤツは何かしら文才を買われて、商業作家になったわけで。 例えば5chや増田やふたばといった匿名の場合、文才があっても多くのレスポンスがついて発言者の存在などどうでもよくなって終わりになる。 しかしTwitterは違うんだなァ、これが。 声のでかいヤツが声が、声の小さいヤツらのサル山の王様になって、つけあがる。 非常にイライラさせるねえ。 声のでかいヤツを肯定するヤツらも、その盲目さにイライラさせられる。 もううんざりだよ、Twitter。 終わったね、Twitter。 アカウントを削除しておさらばしたいところだが、僕をルサンチマンの代弁者か、僕を見下して安心するための存在として価値を見出してくれればTwitterに残るよ。できればルサンチマンの器がいいな。 「器は考えること は しません 。注がれた人の総意に従って行動するだけです。」 くたばれTwitter。

三島由紀夫的アニメ文化防衛論

  https://twitter.com/nanokuratesu/status/1465256306151886853 上記のツイートで、富野由悠季はそう述懐していた。 日本のアニメ工業力が東アジアから抜かされる。という懸念はとても重要だ。 同時に米津玄師DISをカマすヨシユキであるが、邦楽業界では米津玄師という異才が生まれ、そのフォロワーたち(adoとかヨルシカ系)が何とか20年代の邦楽の屋台骨を支えているのも事実である。 ヨシユキ的思想には、「外の世界に目を向けた創作物を作るべきだ」という論理がある。 米津の作品は内向きに作られている。というのも頷けるが… 米津でもなんでもいいから、邦楽業界は盛り上がらなきゃならない。として、今の邦楽がある。 手段は選ばず、だ。 じゃあ、アニメはどうだ。 「アニメの粗製乱造」、という言葉がバズワードになってからどれくらいの年月が経ったか。 アニメの基本フォーマット・基本的文法は完成されてある。 たとえば、君の名は。の「アニメだから許される冒険譚」だとか、鬼滅の刃無限列車編の「アニメだからウマイウマイ言う変人やイノシシ顔(?)の半裸の変人」の存在が許される不文律。 「アニメだからアリやん」と観客はそういう不文律を平然と受け入れアニメ鑑賞をする。 これは、いかほどなものか? もはや日本のソシャゲ文化を喰らいつつある中国のソシャゲ。 日本の美少女キャラの、独特の不文律でデフォルメされた「美少女」を、輸入してサンプリングして日本市場に逆輸入する。という形がすでに出来上がっている。 幸いなことに東アジア圏では、日本における「富野由悠季」「小島秀夫」がいないから、サンプリング止まりであるが、海外にそのような異才が現れたらどうするのか。 現れなかったとしても、日本の美少女もの文化は東アジア圏に大きく広まり、「美少女アニメはアジア人のもの」が市場原理的に必然となる。 その上で、富野の「外の世界に目を向けて創作しろ」という言葉を否定するかしないかは、非常に難題だ。 外の世界に目を向けた作品を世に出そうと、市場原理のセオリーがジャマをして、なかなかそんな作品はヒットしにくい。 では「粗製乱造」を行い続けるか?そうすればいずれ前述の「日本から奪われた東アジア美少女圏」が成立する。市場原理における売れ線があるからだ。それに乗っかれば国籍関係なしにア

一人暮らし生活34日目 ジョニーが大変なことになってしまった!

今日は一日中寝ていた。 その理由は簡単だった。 僕の股間のアソコの 皮が肥大化 して、とんでもない状況になってしまったからだ。 カントン包茎に近い状態である。 これ、死ぬんじゃないか・・・? ほっといたら股間が 壊死 するらしいし・・・ マジで怖い。  デスノート短編集買った。aキラ編までしか読んでない。けど面白かったので感想。 ・aキラ編 かつてDEATH NOTEという作品が、軍事と経済を描かなかった理由が分かる。 アメリカが形式上デスノート保有国であれば、まず世界秩序が大きく塗り替わるだろう。 国際世論におけるアメリカへの反発は大きなものになって、アメリカはテロによって致命的なダメージを受ける。そして、保有してるフリであるデスノートによる報復もできない。 極端な話「虐殺器官」的な感じにアメリカ同盟国圏は破滅。「ハーモニー」的な「ザ・メイルシュトロム」が起こるんじゃないかな。 かつてのDEATH NOTEは、政治経済要素の一切をパージし、ただ凶悪犯を裁くだけの物語だった。 冤罪者を裁くのか?ソレスタル・ビーイングみたいに紛争地域の指導者も裁くのか? 例えばキムジョンウンみたいな地政学上リスクのある人間を裁いてしまったら、東アジアの秩序は失われ、日本が核攻撃されたり東アジアの難民が押し寄せるかもしれなかった。 んなことをいちいち描いていたら、DEATH NOTEの物語は成立しなくなる。 だから作中、そこらへんはボカした。 確かにアイデアはすさまじく面白い。 しかし、DEATH NOTEという世界の価値観でそれをやると、もうガンダム00とかコードギアスの域に達してしまう(笑)。 というか、こんな状況を短編でやっちゃったら、次のDEATH NOTEの短編の世界観、うまく成立するのか? もうデスノート所持疑惑がアメリカについただけで、あの地球アウトだと思うんだが。

一人暮らし生活33日目 SNS上の格差社会と中身のない権威主義者と今後のオタクの在り方

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就労支援作業所B型の見学の目処がたちました。1月中旬までに色々な作業所を見たり体験したりします。働かざる者食うべからず(誤用)。 だけど、本来字義での「働かざる者」の悪性をここに陳述したい。 今回は、現代の社会を巣食うハレンチでグロい病巣について僕なりに問い詰めていく。 僕という、Twitterから一線身を引いた、「インターネット農本回帰主義の、善き農夫」としてスパスパ切り詰めたい。 とりあえず、SNS社会に問いを投げたイギリスのロックバンドのアルバムでも聞きながら、読み流してくれ。邦題は 「ネット上の人間関係についての簡単な調査」/THE 1945 ・オタク文化とSNSの相乗効果の危険性 まず、僕がなぜTwitterから一線身を引いたのかは、 Twitterは格差社会を助長するシステム だと気づいたからだ。 少なくとも、僕が一旦Twitterを休業した2014年から、復活した2019年の5年で、Twitterはあからさまにその姿を変えていた。 まずは、僕の界隈では3人ほどーー誰とは言わんがーー、商業ニュースサイトのネットライターやブイチューバーとして、「インターネット有名人」・「地位と名誉を手にした人間」になっていた。 そして、彼らの記事や本や動画を面白がって、無意識のまま信奉するように彼らを容認する人間が多く居る。 これを放置することは危険なことなのだ。 なにしろ、Twitterという140文字だけの世界で、何かを理解した気になって、中身の伴わない、ーーエコーチェンバーとも捉えかねないーー「いいね」や「リツイート」の数を以って、その地位と名誉を利用して、オタクたちの権威ぶってる連中がいる。そしてそれらを信奉している連中もいる。それらが、とにかくおぞましくて仕方がない。 オタクが肯定するVチューバーやそういうライターどもは、オタクの耳障りのいいことしか言わない。 例えば、彼らと彼らの支持者が、政治的発言をタブー視するように、地位と名誉を手にしたツイッタラーへの批判を封殺する。 これは本当によくないことで、オタク連中が、会社で疲れてるのか何だかは知らねーけど、簡単に信奉しやすい「地位と名誉を手にしたヤツ」の耳障りいいコミュニティにすがりつく。 反対意見のない、ディストピアにだ。 仮に反対意見を表明して、オタクらの逆鱗に触れれば、ブロックという言論的殺人が行われる。非

一人暮らし生活31日目 ディストピア考 プッチ神父の「新世界」 夜神月の「新世界」 ~到達しえなかった新世界~

そういえば一人暮らし1ヶ月目ですね。就労支援作業書から12月か1月かに見学に来ないかと電話が来たからどうすっかな~。 ~到達しえなかった新世界~ ディストピアものは2つに区分されると僕は推理している。 それは、「ディストピアを創生する物語」「ディストピアの中で生きる物語(ディストピアを破壊してもよい)」だ。 前者の物語はけっこうある。村上龍だったり、メタルギアだったり、ガンダムだったり、古今東西ハヤカワSFだったり、RPGだったり様々だ。 そして、その中にある『デスノート』と『ジョジョの奇妙な冒険 ストーンオーシャン』の2作品の共通性と、それらがうったえるスペキュレイティブを思索したい。 と、いうのも簡単なハナシで、キラの新世界も、プッチの天国も、作者が「このディストピアは確実に悪だ」という明確な作者の意志に基づいて描かれている。 その悪性を裏付ける根拠として、「主観を押し付ける行為は悪」と明言されているのだ。 たとえば、ラスボスがこの世は間違っているから正すという正論を言い、主人公が否定するよくあるパターンの作品も多々ある。悪の美学的なヤツだ。 しかし、それらには作者が、悪を美的、あるいは醜く、ステロタイプ的な歪んだ認知を呈している。 大場つぐみ先生や荒木飛呂彦先生は、ディストピアを思い切り客観視して、「こういう考え方はあるけど、どう?」といったふうにディストピアのビジョンを具体的に提出する。 「キラがいる新世界はどうなんだろ…」「人類が覚悟を得た天国は幸せなのかッ」 と、読者に思考の余地を与える。 読者は現実世界(と、実存)にそれらを照らし合わせ、ウーンとアタマをひねるのだ。 しかし、最後には確固たる意志―「主観を押し付ける行為は悪」―によって粉砕される。 これら、明らかにデスノートとストーンオーシャンの文法は共通していないか。 少年ジャンプには少年ジャンプの文法があるゆえか。 だがこの文法は「ディストピアを創生する物語」を描こうにも、難儀である。 ディストピア創生者を肯定的に描いてしまうことの危険性がある。 それらはすべて、ディストピア創生を成し遂げてしまって終わる(たとえ、悪だと思われるディストピアでも)。 そして「ディストピアの中で生きる物語」は、ディストピアを否定する前提で動きやすい。 中立的なディストピア創生者の思考を潰すことは事実難しいのだ。 だが、

一人暮らし生活30日目  かつて「2013年」という年があった。

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今日は一日家にいたので、 ゆゆ式 を全部いっきに観た。 最終話の海に行ってはしゃいで帰るシーンが切なかった。 その感触は、中学生だった頃行った大型市民流れるプールで、午後になって、日がだんだん西に寄ってくる時に、浮き輪に乗ってただ空を見上げて流されてた時の感覚に似ていた。 もしもゆゆ式2期があるとするなら、この最終話の、眩いほどのハレーションを越えなくてはならない。 「青春」において、極めて特異で、極めて爽快な、「友達と海水浴に行く」という、異例なシチュエーションを投入することによって、TVアニメゆゆ式は、またとないカタルシスをハツラツし、終わった。 これを超えるアイデアを提出するのは、本当に難しいだろう。 マネタイズを度外視したら、それゆえに2期が難しいのかもしれない。かおり監督の感覚的にも。 観終えた時のゆゆ式ロスが苦しい。だけど12巻読んで心を落ち着かせる。 きららファンタジアも久々に起動してみて、ゆゆ式パで遊んで見るのもよい。 情報処理部は友達以上恋人未満だね。やっぱりギリギリアッチ系だよね。 でもな~ふみおかが尊い。 そう。 2013年。ゆゆ式アニメ化した偉大な年。 それはぼくの中でも革命的な年だった。 高校中退後のモラトリアム最後の年だったし。 ベストヒットUSAで最新洋楽シーンに興味が湧いて、アヴィーチー、イマジンドラゴンズ、THE 1975のブームを直撃で味わったし。 TVでゾンビランドを観て、その面白さに驚愕して、映画館にも通い始め、駅前ツタヤさんで邦楽CDのみならず洋画DVDも借りあさってたし。 バンドアパートの「夜の向こうへ」(人生の心のベストテン)に感動してライブ行ったし。 村上龍や伊藤計劃の小説読んで考え方にも惹かれたりしたし。 翌年の再放送でハマったけど、テレ東深夜ドラマ「まほろ駅前多田便利軒」が放映されてたし。 声優、種田梨沙さんの全盛期に心震えたし。 なんか高校野球も観に行ったし。 仲いいと思っていたはずの相互から理不尽なブロックされることもなかったし。 ぼくの顔の肌がさらっさらで可愛かったし(自賛)。 思春期が終わり、視野が爆発的に広がった年だったと思う。 同年、やなせたかしが逝く間際「こんな面白い時代はねえよ」って言ってたのも同感する。 ぼくが将来バンドを組んでいたらスマッシング・パンプキンズみたいに「2013」って曲を出すよ。

Twitterというディストピアにうんざりしたので(可能な限り毎日更新する)日記ブロガーになります。【インターネット農本回帰】

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 すっげえブロックされてる。はっきりとわかるんだよね。 SNS上で、味方の圏内に入ってるひとと、グレーゾーンのひとがいる。 グレーゾーンのやつらは、いつ俺を陥れるか分からない。 陥れられた時はかなり傷つく。 グレーの人間とは付き合いたくない。 いや、味方の圏内のヤツラにも後ろから撃たれたぞ。 一体誰を信じれば・・・。 ということで可能な限り日記を綴るブロガーになります。 Twitterの閲覧はなるべく控えます。ただ、フォロワーのブッディスト(仏教家)が帰ってきたらまた戻るかもしれません。 はてな村に移住しようとも思ったけどあそこもあそこでコミュニティが成立してて怖いわ。 そんな自己顕示欲はない。 ここに、インターネット農本回帰を宣言いたします。 「Blogger」という、他のブログ媒体ではあまり人気がない(?)ところを拠点にします。 この寒村にて、インターネット農本主義のよき農夫として生きます。 ぼくを見捨てない人が日記みてくれたらいいな。 以上、今回のブログ来訪ありがとうございました(メルカリのやり取り並の感想)。