三島由紀夫的アニメ文化防衛論
https://twitter.com/nanokuratesu/status/1465256306151886853
上記のツイートで、富野由悠季はそう述懐していた。
日本のアニメ工業力が東アジアから抜かされる。という懸念はとても重要だ。
同時に米津玄師DISをカマすヨシユキであるが、邦楽業界では米津玄師という異才が生まれ、そのフォロワーたち(adoとかヨルシカ系)が何とか20年代の邦楽の屋台骨を支えているのも事実である。
ヨシユキ的思想には、「外の世界に目を向けた創作物を作るべきだ」という論理がある。
米津の作品は内向きに作られている。というのも頷けるが…
米津でもなんでもいいから、邦楽業界は盛り上がらなきゃならない。として、今の邦楽がある。
手段は選ばず、だ。
じゃあ、アニメはどうだ。
「アニメの粗製乱造」、という言葉がバズワードになってからどれくらいの年月が経ったか。
アニメの基本フォーマット・基本的文法は完成されてある。
たとえば、君の名は。の「アニメだから許される冒険譚」だとか、鬼滅の刃無限列車編の「アニメだからウマイウマイ言う変人やイノシシ顔(?)の半裸の変人」の存在が許される不文律。
「アニメだからアリやん」と観客はそういう不文律を平然と受け入れアニメ鑑賞をする。
これは、いかほどなものか?
もはや日本のソシャゲ文化を喰らいつつある中国のソシャゲ。
日本の美少女キャラの、独特の不文律でデフォルメされた「美少女」を、輸入してサンプリングして日本市場に逆輸入する。という形がすでに出来上がっている。
幸いなことに東アジア圏では、日本における「富野由悠季」「小島秀夫」がいないから、サンプリング止まりであるが、海外にそのような異才が現れたらどうするのか。
現れなかったとしても、日本の美少女もの文化は東アジア圏に大きく広まり、「美少女アニメはアジア人のもの」が市場原理的に必然となる。
その上で、富野の「外の世界に目を向けて創作しろ」という言葉を否定するかしないかは、非常に難題だ。
外の世界に目を向けた作品を世に出そうと、市場原理のセオリーがジャマをして、なかなかそんな作品はヒットしにくい。
では「粗製乱造」を行い続けるか?そうすればいずれ前述の「日本から奪われた東アジア美少女圏」が成立する。市場原理における売れ線があるからだ。それに乗っかれば国籍関係なしにアニメを作れてしまう。
しかし、「この世界の片隅に」や、たつき監督みたいな突然変異種が生まれているのも事実である。
この誇り高き日本のアニメ文化を防衛するには、カリスマ的監督、カリスマ的作品が必要なのだ。
どっちみち未来は誰にも分からない。
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