一人暮らし生活31日目 ディストピア考 プッチ神父の「新世界」 夜神月の「新世界」 ~到達しえなかった新世界~
そういえば一人暮らし1ヶ月目ですね。就労支援作業書から12月か1月かに見学に来ないかと電話が来たからどうすっかな~。
~到達しえなかった新世界~
ディストピアものは2つに区分されると僕は推理している。
それは、「ディストピアを創生する物語」「ディストピアの中で生きる物語(ディストピアを破壊してもよい)」だ。
前者の物語はけっこうある。村上龍だったり、メタルギアだったり、ガンダムだったり、古今東西ハヤカワSFだったり、RPGだったり様々だ。
そして、その中にある『デスノート』と『ジョジョの奇妙な冒険 ストーンオーシャン』の2作品の共通性と、それらがうったえるスペキュレイティブを思索したい。
と、いうのも簡単なハナシで、キラの新世界も、プッチの天国も、作者が「このディストピアは確実に悪だ」という明確な作者の意志に基づいて描かれている。
その悪性を裏付ける根拠として、「主観を押し付ける行為は悪」と明言されているのだ。
たとえば、ラスボスがこの世は間違っているから正すという正論を言い、主人公が否定するよくあるパターンの作品も多々ある。悪の美学的なヤツだ。
しかし、それらには作者が、悪を美的、あるいは醜く、ステロタイプ的な歪んだ認知を呈している。
大場つぐみ先生や荒木飛呂彦先生は、ディストピアを思い切り客観視して、「こういう考え方はあるけど、どう?」といったふうにディストピアのビジョンを具体的に提出する。
「キラがいる新世界はどうなんだろ…」「人類が覚悟を得た天国は幸せなのかッ」
と、読者に思考の余地を与える。
読者は現実世界(と、実存)にそれらを照らし合わせ、ウーンとアタマをひねるのだ。
しかし、最後には確固たる意志―「主観を押し付ける行為は悪」―によって粉砕される。
これら、明らかにデスノートとストーンオーシャンの文法は共通していないか。
少年ジャンプには少年ジャンプの文法があるゆえか。
だがこの文法は「ディストピアを創生する物語」を描こうにも、難儀である。
ディストピア創生者を肯定的に描いてしまうことの危険性がある。
それらはすべて、ディストピア創生を成し遂げてしまって終わる(たとえ、悪だと思われるディストピアでも)。
そして「ディストピアの中で生きる物語」は、ディストピアを否定する前提で動きやすい。
中立的なディストピア創生者の思考を潰すことは事実難しいのだ。
だが、デスノート、ストーンオーシャンはこのジレンマを「主観を押し付ける行為は悪」でヤッツケた。
じつに見事な思考法である。これを偉大なる2つの先駆者に先にやられてしまってるから、このハナシは描きにくい。
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