シュナイゼルに協力したナナリーの本心。

前項で、ルルーシュの「明日論」とシュナイゼルの「今日論」を解説した。
今回は補足分となるだろう。

ナナリーは、シュナイゼル側に自らの意志で付き、フレイヤの発射キーを握っている。
我々も、シュナイゼルの今日論に基づく平和は、人類に平和をもたらすシステムだと確かに理解もできる。ダモクレスなら、世界から戦争はなくなるのだ。

シュナイゼルとは違う、ナナリーの「今日論」
では、ナナリーは「明日」ではなく「今日」を求めたのか?
違うのである。
コードギアスR2最終盤のあの状況下では、ナナリーにとって、それが平和への最良の選択であった。

そしてナナリーは、ルルーシュと共に暮す「今日の経験」だけの未来を求めているのも確かだ。

ギアスの根源は、ルルーシュの論を説けば、願いであり、明日を求め抗うものである。
シュナイゼルとナナリーの論を説けば、人の意志を捻じ曲げる卑劣なものである。

両方とも、正論だろう。
ルルーシュは、その両方を理解してた。卑劣な力を行使した贖罪として、ギアス能力の総括を、ゼロレクイエムを実行した。
しかし、それはあくまで、人類を「明日」へと進めるためのものである。
そして、ゼロレクイエムの深奥は、達成されれば、世界は交渉というテーブルに付き、明日を迎える事ができる。というものだ。

ナナリーは、キールームで、ルルーシュと対峙した時、ギアス能力の本質を見抜けなかった。
ただルルーシュとの「今日」を望んでいた。しかし、一つだけ言葉をルルーシュに投げかける。

「憎しみはここに集めるのです。」

ナナリーはギアス能力の本質、そして「明日論」を理解していなかったが、ルルーシュとの合意点を示したのだ。

ここに、対峙してからナナリーとの合意点を模索できなかったルルーシュは、ナナリーを「立派に自分の考えで生きている」と受け止め、ナナリーにギアスを放った。

ナナリーはシュナイゼルと違い、欲もなく、人を見下し生きては居ない。
他人への感謝を伝える心も持ち、世界を平和にしようと模索し、今日に抗う形で、シュナイゼル側に付いた。

ナナリーもまた、明日を求めて、抗い生きているのだ。

ナナリーはシュナイゼル側に付いたが、シュナイゼルとは決定的な考えの相違が、上記だ。
憎しみを一点に集めるという意志は、ギアス能力総括である、ゼロレクイエムの深奥だ。
憎しみを一点に集める=理不尽な今日を他人に強いる。
ナナリーはそれを自認し行動している。罪に汚れても、ルルーシュと共に暮す明日のために。

それをルルーシュは理解した。
だから、ルルーシュはナナリーにギアスを放てた。
そしてナナリーの罪を浄化するためにも、ゼロレクイエムへの決意が固まったのだろう。


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