ルルーシュの明日論。シュナイゼルの今日論。
最近、コードギアス反逆のルルーシュ1期2期TV版を見終えた。
一気に見終えたのは本放送以来だ。
劇場版公開時に一気観しようと思っていたけど、結局は出来ずじまいだった。
劇場版は見に行ったし、アマゾンプライムにあった頃も再見したが、やはりテレビシリーズの積み重ねが、この作品のキモなのだと確信を得た。
テレビシリーズを10年以上前に見たあの時から僕は成長したし、見方も変わっている。
少しだけ考えたいことをまとめてみる。
【本題 ~ルルーシュの求める明日、シュナイゼルの求める今日。】
僕が今回着目したいのはR2、特に終盤のルルーシュとシュナイゼルについてだ。
当初、ルルーシュはシュナイゼルには勝てなかった。それは幼少期からでもあり、R2前半部のチェスのシーンでもルルーシュはシュナイゼルを負かせることはできなかった。
終盤に差し掛かると、ルルーシュは、思い出の世界・過去の世界だけに執着したシャルルとマリアンヌを涙ながらに討つ。「時の歩みを止めないでくれ、それでも俺は、明日が欲しい」と。
そして彼はスザクと共にゼロレクイエムへと歩き始める。
世界を「明日」へと向かわせることで、世界に対して贖罪するように。
そう、本作の主目的であるシャルル打倒は、「明日が欲しい」という言葉(神に対する願い)で成された。
ここでルルーシュは、世界の人々を「明日」へと進めることが最期の努めだと悟ったのだ。
ゼロレクイエム発足当初、ナナリーの生死は不明であり、ルルーシュとスザクはナナリーの求めた優しい世界を、「人々が明日を求める世界」として完成させることを主目的にゼロレクイエムは動き始める。
一方、シュナイゼルは天空要塞ダモクレスでのフレイヤ攻撃で世界征服し、核抑止による平和のもと、世界を「今」の平和で固定しようと考える。
シュナイゼルは、それが世界の人々のためという思想を持っている。彼の思想は、理解できない話ではない。
そして、最終盤におけるルルーシュとシュナイゼルの最終決戦。
ルルーシュの録画映像のアレだ。
昔見たときは違和感があったが、それは違っていた。ルルーシュはシュナイゼルの思想を完全に理解し、チェスのようにシュナイゼルを「詰み」にした。
明日を求めるルルーシュは、今日を求めるシュナイゼルの思想を理解し、まるで数手先まで読んだチェスのように、完全にシュナイゼルに打ち勝った。それがこの録画映像なのだ。
【勝負一本目、「経験」vs「知識」】
先ず、ルルーシュは今日で固定しようとするシュナイゼルを喝破し、それを「変化なき日常を生きるとは言わない、それは経験だ」と述べる。
続いて、シュナイゼルは「その連なりを知識と云うが」と反論する。
経験と知識、どう違うのだろう。
ルルーシュの言う経験とは今まで起こってきたことのことだ。
ギアスを最初に行使してから、ルルーシュは様々なことを「経験」してきた。殆どは悲劇だった。
経験を明日へと活かさないことをルルーシュは認めない。
シュナイゼルの言う知識とルルーシュの言う経験の違いはそこにある。
知識だけ溜め込んで先へと進まないのは生きてないのと同じなのだ。
【二本目、「明日」vs「今日」】
シュナイゼルは「明日は今日より悪くなるかもしれない」と、ルルーシュの語る「明日論」へ反論する。
ルルーシュは「例えどれだけ時間がかかろうと、人は幸せを求め続けるから」と明日論の本質を説く。
ルルーシュは人の本質を幸せを求めるものだと信じている。それは経験を経て身につけた理論であり、ルルーシュはそこから明日へと進みたい。
次にシュナイゼルは「それは欲望だ。あてのない夢や希望は虚構だ」と今日論を押し通すが、人の本質とは間違っているのだ。
ルルーシュは、今での悲劇的経験をフラッシュバックして「人は幸せな明日を求め抗い続けた」と言う。
フラッシュバックにはかつて踏みにじるように倒したマオ、最大の敵シャルル。(命を助けられたとはいえ)シャーリーを殺したロロをも許容したかのように映る。映っては居ないが、コーネリアや、C.C.も、彼の脳内でフラッシュバックしていたのだろう。
そして彼がギアスをかけ人を操り殺した人たちも、無論。
【ルルーシュの「明日論」の本質】
全ての人類は、純粋に幸せな明日を求め生きている。それがルルーシュの「明日論」の本質だ。
経験を、先に進めて、幸せを求め抗い生きる。
抗い続けることが人類の歴史だと、C.C.もカレンに敗れ去った後、海上で独白した。
ここで、「反逆のルルーシュ」というタイトルは、ブリタニアに反逆するルルーシュではなく、今日の不幸に反逆して明日を生きるという意図が含まれてると強く感じてならない。
かくしてルルーシュは、シュナイゼルの思考に勝利した。
【「たとえどれだけ時間がかかろうとも、人は幸せを求め続けるから」】
ルルーシュとシュナイゼルの“録画対局”中に、ルルーシュが言った言葉である。
「どれだけ時間がかかろうと」という部分に、僕は個人的に感銘を受けた。
人は何度失敗し続けてもいいのだ。経験を糧にして変化し生き続ける。幸せを求め続ける。明日を求め不幸な今日を抗い続けるのだ。
それは、命尽き果てるまで続く、明日への希求。
それらを総括し、不幸に反逆しろ、それが人間の本質だと、この作品は最終盤に結論を出したのかもしれない。
「コードギアス反逆のルルーシュ」という作品がこの世に生まれて感謝している。
個人的な話、このルルーシュの「明日論」を提示してくれなかったら、僕の人生は辛いものだっただろう。
本作は、奇跡的なアニメである。胸を張ってそう言える。
ナナリーについては別項で。
一気に見終えたのは本放送以来だ。
劇場版公開時に一気観しようと思っていたけど、結局は出来ずじまいだった。
劇場版は見に行ったし、アマゾンプライムにあった頃も再見したが、やはりテレビシリーズの積み重ねが、この作品のキモなのだと確信を得た。
テレビシリーズを10年以上前に見たあの時から僕は成長したし、見方も変わっている。
少しだけ考えたいことをまとめてみる。
【本題 ~ルルーシュの求める明日、シュナイゼルの求める今日。】
僕が今回着目したいのはR2、特に終盤のルルーシュとシュナイゼルについてだ。
当初、ルルーシュはシュナイゼルには勝てなかった。それは幼少期からでもあり、R2前半部のチェスのシーンでもルルーシュはシュナイゼルを負かせることはできなかった。
終盤に差し掛かると、ルルーシュは、思い出の世界・過去の世界だけに執着したシャルルとマリアンヌを涙ながらに討つ。「時の歩みを止めないでくれ、それでも俺は、明日が欲しい」と。
そして彼はスザクと共にゼロレクイエムへと歩き始める。
世界を「明日」へと向かわせることで、世界に対して贖罪するように。
そう、本作の主目的であるシャルル打倒は、「明日が欲しい」という言葉(神に対する願い)で成された。
ここでルルーシュは、世界の人々を「明日」へと進めることが最期の努めだと悟ったのだ。
ゼロレクイエム発足当初、ナナリーの生死は不明であり、ルルーシュとスザクはナナリーの求めた優しい世界を、「人々が明日を求める世界」として完成させることを主目的にゼロレクイエムは動き始める。
一方、シュナイゼルは天空要塞ダモクレスでのフレイヤ攻撃で世界征服し、核抑止による平和のもと、世界を「今」の平和で固定しようと考える。
シュナイゼルは、それが世界の人々のためという思想を持っている。彼の思想は、理解できない話ではない。
そして、最終盤におけるルルーシュとシュナイゼルの最終決戦。
ルルーシュの録画映像のアレだ。
昔見たときは違和感があったが、それは違っていた。ルルーシュはシュナイゼルの思想を完全に理解し、チェスのようにシュナイゼルを「詰み」にした。
明日を求めるルルーシュは、今日を求めるシュナイゼルの思想を理解し、まるで数手先まで読んだチェスのように、完全にシュナイゼルに打ち勝った。それがこの録画映像なのだ。
【勝負一本目、「経験」vs「知識」】
先ず、ルルーシュは今日で固定しようとするシュナイゼルを喝破し、それを「変化なき日常を生きるとは言わない、それは経験だ」と述べる。
続いて、シュナイゼルは「その連なりを知識と云うが」と反論する。
経験と知識、どう違うのだろう。
ルルーシュの言う経験とは今まで起こってきたことのことだ。
ギアスを最初に行使してから、ルルーシュは様々なことを「経験」してきた。殆どは悲劇だった。
経験を明日へと活かさないことをルルーシュは認めない。
シュナイゼルの言う知識とルルーシュの言う経験の違いはそこにある。
知識だけ溜め込んで先へと進まないのは生きてないのと同じなのだ。
【二本目、「明日」vs「今日」】
シュナイゼルは「明日は今日より悪くなるかもしれない」と、ルルーシュの語る「明日論」へ反論する。
ルルーシュは「例えどれだけ時間がかかろうと、人は幸せを求め続けるから」と明日論の本質を説く。
ルルーシュは人の本質を幸せを求めるものだと信じている。それは経験を経て身につけた理論であり、ルルーシュはそこから明日へと進みたい。
次にシュナイゼルは「それは欲望だ。あてのない夢や希望は虚構だ」と今日論を押し通すが、人の本質とは間違っているのだ。
ルルーシュは、今での悲劇的経験をフラッシュバックして「人は幸せな明日を求め抗い続けた」と言う。
フラッシュバックにはかつて踏みにじるように倒したマオ、最大の敵シャルル。(命を助けられたとはいえ)シャーリーを殺したロロをも許容したかのように映る。映っては居ないが、コーネリアや、C.C.も、彼の脳内でフラッシュバックしていたのだろう。
そして彼がギアスをかけ人を操り殺した人たちも、無論。
【ルルーシュの「明日論」の本質】
全ての人類は、純粋に幸せな明日を求め生きている。それがルルーシュの「明日論」の本質だ。
経験を、先に進めて、幸せを求め抗い生きる。
抗い続けることが人類の歴史だと、C.C.もカレンに敗れ去った後、海上で独白した。
ここで、「反逆のルルーシュ」というタイトルは、ブリタニアに反逆するルルーシュではなく、今日の不幸に反逆して明日を生きるという意図が含まれてると強く感じてならない。
かくしてルルーシュは、シュナイゼルの思考に勝利した。
【「たとえどれだけ時間がかかろうとも、人は幸せを求め続けるから」】
ルルーシュとシュナイゼルの“録画対局”中に、ルルーシュが言った言葉である。
「どれだけ時間がかかろうと」という部分に、僕は個人的に感銘を受けた。
人は何度失敗し続けてもいいのだ。経験を糧にして変化し生き続ける。幸せを求め続ける。明日を求め不幸な今日を抗い続けるのだ。
それは、命尽き果てるまで続く、明日への希求。
それらを総括し、不幸に反逆しろ、それが人間の本質だと、この作品は最終盤に結論を出したのかもしれない。
「コードギアス反逆のルルーシュ」という作品がこの世に生まれて感謝している。
個人的な話、このルルーシュの「明日論」を提示してくれなかったら、僕の人生は辛いものだっただろう。
本作は、奇跡的なアニメである。胸を張ってそう言える。
ナナリーについては別項で。
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