劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデン

 一日寝て、少しは感情の昂りが収まったから書いておこう。フレッシュなうちに感想を書いておきたい。

Twitterではネタバレになっちゃうし、インテリっぽいハナにつく言葉を使っちゃうから、ブログで。

ネタバレは避けます。

といっても伊藤計劃氏のマジメな映画評みたいな筋道立った文章ではない。


・映画技法として

僕みたいなヒネクレたオタク野郎には、一般的な深夜アニメはもう観るに耐えないんですよ。

意味不明に目のでかいキャラが、テンプレートな表情と芝居をして、より分かりやすく、まるでスマホの顔文字みたいな演技をする。宇崎ちゃんなんか乳よりもありえないほど大きな目と大げさな表情に違和感しかないわけで。乳以前にこんなリアクションする人間存在するかよ!みたいな。

イラスト描いてて、眼の描写に違和感を感じて、「眼だけ綺麗に描けりゃいいのか?コイツは何を見てそんな眼をしているんだ?」ってなって、露骨なバストアップの絵を描くのをやめた。

一連の、そういった「押し付け」がすごく気持ち悪くなってしまって、僕は深夜アニメを今ほとんど見てない。俺ガイルぐらいか。

音も説明ゼリフも演出もハナにつく。感情を無理矢理誘導するような映像、見てらんない。

そういうわけで(伊藤計劃構文)、僕は深夜アニメを辞めた(ヨルシカ)。

漫画も同様で、鬼滅の刃の「生殺与奪の剣!」バーン!で「ああ、こういうやつか」ってなったし、呪術廻戦とか彼女お借りしますみたいな人間らしさを感じない芝居をする漫画もきつい。しかしチェンソーマンだけは本当に上手い芝居を描いてるな~と思う。

でも、そういうのに値してても好きなものは好きというヒキョーなダブスタを持ってる人間です僕は(ぴえん)。

話がそれに逸れた。映画の話に戻そう。

開始早々、人間の機微に溢れた現代パートの話が展開される。

誇張のない、ちょっとした一挙手一投足の仕草。繊細な表情の動き、全く恣意的ではない音楽(確か流れてなかった気がする)。

これでガッチリ心掴まれました。

そんな、いたって映画的な映像運びが続いていく。クラウディアやベネディクトの男臭い芝居もいいね~。

そこで、病気の少年のもとにヴァイオレットちゃんが赴くシーン。

重い話になるけど、全く感動を恣意するようなものはない。ただ病死前の子が素直になれない、それだけの描写に心打たれる。

俺はこのシーンでいきなり大泣きしてしまった。

あとは、そういう映画的な映像が繰り広げられて、ラストのシーンまで、自然に、アニメ的な盛り上がりが徐々に盛り上がってくる。

もう最後のシーンなんかマスクがグチョグチョになって小さな声に出るくらい嗚咽漏らして泣いてて、両隣には迷惑をかけたと思う、すまん。警備員につまみ出されなくて本当によかった。


この映画は言語学の映画だ

重要なのはこの部分かもしれない。コンテクスト主義とはなんぞやとこの映画は問う。

この映画で描かれる言葉のやり取りは「又聞きでしゃべる」というものが多い。

そこにドラマが生まれる。

又聞き(コンテクスト主義)でしかやりとりをしえない自動手記サービスのヴァイオレットちゃんは、極めて聡明な態度で、人の一挙手一投足を見ながら、聞きながら、次第にコンテクストの中にある真理みたいなものを見つけていく。察していく。

愛してる。なかなか言い出せない言葉を、最後まで見出していく。

この、言語学的なドラマには一見の価値がある。


ここまで書いてて、また思い出し泣きしそうだ。

涙でぐちょぐちょになってもう頭からすっ飛んでいってしまったエピソードもあるだろうし、もう一見する価値はある。

というか涙で見えなくなっていくものを必死に感想として述べた。

とにかくこの映画は俺が見てきたアニメ映画で心のベストテンに必ず入ることだろう。

僕が一番大好きなアニメ、「ガンダム0080」並にすごい。浪川大輔すごい。


もうこれ以上感想描いてるとクソデカ感情オタクになってしまうので、ここまで。

ネタバレは避けた。最後に、どうかこの文章を読んでくれる人がいれば、こんな心の薄汚れた俺でもグチャグチャに泣ける映画だと、言っておく。

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