『PSYCHO-PASS 3』の季節 ~予習篇 ~

 ついに10月期に放送が開始される「PSYCHO-PASS 3」。

2期終盤に語られた「集合的PSYCHO-PASS」とは? 無間地獄のように考え続けていたピースが5年越しに今明らかになる。

もう、伊藤計劃もメタルギアも攻殻機動隊は居ない。ときは2019年。いつの間にか残っていた、ポピュラーで訴求力のあるディストピアものは、「PSYCHO-PASSシリーズ」だけだった。


・フレキシブルな監視社会
 百人のオタクに聴けば過半数答えるであろうディストピアの権化「シビュラシステム」。
それは、オーウェルの「1984」をイメージすると余りにも拍子抜けするほど厳格ではなく、シビュラ統治下における日常パートを見てみれば、一見して自由で、文化水準は現代の延長にあるような社会基盤のディストピアであることが描かれる。
引用すれば「1984」で、思想を検閲する超高度監視社会の元、不穏分子の兆候を持つ者を監禁し「2たす2は5」に代表される洗脳術を行っていたが、シビュラシステムはそんな露骨なことをやらない。むしろ現代精神医学のように“サイコセラピー”を施し、犯罪係数を下げ、犯罪を未然に防ぐために医学的に尽力。犯罪係数がオーバーしたものは逮捕。厚生省に送られサイコセラピー。それでも止むない“係数オーバー”の執行対象は即時射殺で、暴走した市民の“反社会的活動”は終わる。突発的に行われる市民の暴力には、即時行う官憲の暴力行使を“抑止力”とする社会だ。
街には街頭スキャナーがあり、PSYCHO-PASSによる色相判定制度があり、アニメ表現としては過度にグロテスクだが、こうして、現代の延長線にあるような平和的ディストピア像は維持される。

 シビュラ社会において大学制度は廃止され(多分、革命思想に繋がる大学課程の文系学問と、学生運動を起こさないために廃止したのだろう)、狡噛たちは職業訓練過程を受け厚生省に入省する。日本の外で度重なる戦争の起こっている世界で、人々は“色相”で決まる将来を追認し、生きている。まるで現代日本の就活生のように。

 さて、シビュラシステムとはなにか。
シビュラは、社会規範から逸脱した“免罪体質者”の脳をかき集めた存在である。
中世の完全なる寡頭制の元老院にも似た、選挙で選ばれない免罪体質者集団による非民主的な政治社会。
“近代的自我”をハナから持たない免罪体質者達は、社会規範を逸脱し、マクロ的に社会を認知していない。すなわち、人を人とも思ってない、人を駒のように扱って社会を動かし社会システムを形成する。それが、免罪体質者の敷設するシビュラシステムだ。

…と、ここまではシリーズを観た。あるいは流し見の人にも分かる内容だろう。

 ―――じゃあそもそも、なぜ免罪体質の脳がシステムの根幹を操っているのか?
この大きな疑問に対しては、“近代的自我”の失敗があるのだろう。

 “近代的自我”というものは、いわゆる市民革命あるいはピューリタン革命から現代に続く、「大衆が選挙制で選んだ、お上の意思決定に拠って大衆が庇護に置かれる人権意識」のこと。我々大衆には馴染みがない言葉だが、右翼とか、左翼とか、そういう為政者や運動家たちの基礎に流れる思想のようなものだ。単に、他者への利益の分配や普遍的な思いやりの心と思っていい。
 我々が会社で働き、給料を貰い、交通ルールの元に車を走らせ、誰も殺そうと思わないのも広義の“近代的自我”だ。

 しかし、作中の新自由主義の破産通告によって“近代的自我”は崩壊する。
新自由主義も、自由選挙民主主義も、近代的自我も、脆くも無くなってしまったのだ。
その直接的原因は未だ作中明らかにされていない。
(「PSYCHO-PASSジェネシス」、読んでないなぁ(チェ・グソン))
確かなのは、社会体制の激変により、“近代的自我”を前提にした為政者と学者、国民たちがこの異常事態に対応出来なかった。
経済哲学者アダム・スミスの「神の見えざる手」を基本として生きていた我々文明社会が瓦解する。それを予期し、先進国で改革や革命を行う人間なんて、居なかったんだろう。と予測される。
 かくしてPSYCHO-PASS世界では、民主主義を捨て去り、鎖国政策を取る。
“近代的自我”に基づく現代的な自由主義を勝ち取る方向を止め、自分たちの口は自分で賄う。この国はそう決めたのである。

 そこに現れたのは「緩やかでフレキシブルなディストピア」ことシビュラシステムだ。
シビュラは世界で起こる戦乱をこの国では無関係のように統制し、日本国内の秩序と安寧を保つ。
「パト2」を変形させて言うなら、戦線の前線と後方に巨大な壁を築き。更には、人の心にすら壁を築いて、偽りの安寧を享受している社会とでも形容すべきか。
 この矛盾点に気付いた男・槙島聖護は、多用な文学的知見―シビュラ以前主流だった価値観の引用として本をガジェットに登場させたのだろう―から、文化人類史の知見から社会を分析。この国からかつて消え去ったインテリゲンチャのような視点で、社会に疑念を持ち、まるで偽りの安寧に疑問を投げかけるように猟奇的な殺戮を行う。
 彼は人間の自由意志によって選んだ選択を尊び、それを行わない人間には、死の裁きを下す。この人命重視社会において、人の生命すらも哲学ゲームのコマのように扱う稀有な感性を持つ彼は、一線の執行対象とは画一し、シビュラの目には極めて革新的な免罪体質者に映る。
 彼こそが、シビュラが求めていた“フレキシブルな発想を持つ、新しい近代的自我を持つ人間”。「人をゴミとも思わず、また別の視点を授けてくれる新人類」なのかもしれない。

 シビュラシステムとは、フレキシブル(柔軟性)である。硬直しない考えを持ち、むしろ新しい意見を受け入れ、哲学的命題を新たなステージに押し上げようとする“止揚主義”のごとく、新たな社会システムへとアップデートを図る。そのために、新たな価値観を持つ新人類・免罪体質者は、衆愚民主主義を棄て、寡頭制独裁主義を選んだ。その点において「何も考えない衆愚は穀しても構わない」というフィーリングを持つ槙島聖護は。良いサンプルだったのかもしれない。

 鹿矛囲桐斗の場合はどうか。
居合わせた常守の意志も介在したが、シビュラシステムは、とうとう「集団的サイコパス」というものを受け入れた。システムの瓦解を良しとせず、個を集合体として観るという、フレキシブルな意見を取り入れ、アップデートしたのだ。

 シビュラシステムというものは、支配者による支配者のための、文民を上から下へ統制する、旧来前としたビッグブラザーとは根本的に違う。
あくまで文民のための、ビッグブラザーより緩慢で高度な社会プログラムとして機能しているのだ。1期最終回ラストシーンの、青臭い理想論を声高に語る常守に対するシビュラの嘲笑もこのためだろう。あくまで常守の考え方は古臭い、まるでフランス革命期かアメリカ独立宣言のようなものだと…。


・集団的サイコパスについて
 そしてこの時代の日本は、開国政策を開始している。Case.3で示唆された通り、2期ラストの予想どうりの事態が起こった。
槙島さんの農業テロリズムにとうとう屈したのか。と思いたいが、原因には、唯一の先進国として日本がシーアンのように諸外国にシビュラをもたらし、その当事国・シビュラ輸入国との軋轢とありそうだ。
Case.1では集団的サイコパス化した密室内組織を。Case.3で難民問題にも触れていたし、そこにも大きな要素がありそう。
 ともあれ個でなく集団としてサイコパスを認識するには開国という要素は余りに大きい。
 私は、個と人。というと、私は吉本隆明の共同幻想論を参照してしまう。
きっと本編でも出てくるんだろうな。日本最高級の文学的アニメなんだろうし。隆明をスルーしておくがない。
ただ、まだ本編開始前なので、特に考える余地もないだろう。とにかく楽しみだ。


・『PSYCHO-PASS 3』 PV第1弾 ~「朽ちることのないキュビズム」について
 僕は歌詞で作品内容を考察することが嫌いなので基本やらないが(つかOPは時雨でもナッカブでもないんかーい)、「朽ちることのないキュビズム」という歌詞だけはどうも頭に残った。
 「キュビズム」それは複数の視点を入れる画法だ。すなわちピカソだ。
キュビズムというものは様々な物の見方を指し示す絵と言ったら分かりやすいか。
それは変革する社会正義による変わり方を意味しているのか?
それとも見方を変えた個人を意味しているのか?
 更に「キュビズム」に付く枕詞「朽ちることのない」これは極めて意味深である。
シビュラによる絶対正義。あるいはシビュラに対して見方を変えた個人。
つまるところ、過去シビュラに挑んだメンバーじゃない主人公二人が、新たに「朽ちることのない価値観」をキュビズム的に観察・あるいは振り回されていく。
 これが3期の主題なのではなかろうか…。


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