一人暮らし生活28日目 人と人とが理解しあえるには。
ネームは描けたけど画力が足りません。
最低限「商品」として扱われるような画力がほしいけど、ないんです。
日本マ○ガ教室の受講料が高すぎて行けません。
今日はあまりにも自分の画力の下手さ故に、寝込んでいました。
あと、窓から見える夕焼けが美しすぎて。見たくなかったので、やっぱり寝てました。
起きててもやる気が死んでて、今日はわりと鬱が辛い日でした。
あと昨日の夜、布団に入る時に近くで謎の女の声が2回聞こえました。マジデ居たのか?幽霊!?いや俺のタルパ…しかし出るなら出るでもっと佐○綾音の声をボイトレしろ。
・デスノートに再度ハマる。
マンガ内におけるキャラクター同士の戦闘<殺人>という行為は何なのかと、死刑囚のインタビュー本から戦争・ホロコースト研究本まで、図書館で読み漁りまくってる毎日。
デスノートは小学5、6年だかの直撃世代で、社会派フィクションを好む僕の土台を作ったかもしれない(あの頃のガンダムやギアスもそんな感じかな)。
夜神月敗北の無様にのたうち回るシーンは、読み返すと結構胸糞悪い。
リュークに名前を描かれた後もライトは「何か手はあるんだろリューク!」とか、最後の最後まで希望にすがって、心臓が麻痺した直後に、やっと「ちくしょう」と負けを認めたし。
無様、月!であるが…。
しかし、座間9人殺害事件とか、尼崎事件とかの本を読んでると、やはりキラが存在する世界を夢想してしまう。
魅上照の過去も、かわいそうに思えるし、ライトに同情してしまう気持ちもある。
しかし、夜神月の敗因って、どこぞの金ピカサーヴァント的な慢心さもあるけど、夜神月の近くに「(ルルーシュに対する)スザク」「(槙島に対する)狡噛」「(シャアに対する)アムロ」みたいな存在がいないかったから、負けたと思うんだよね。
そう考えると、Lはイイ線を行ってたかもしれない。
しかし、Lとライトの対峙期間は、一度記憶を消した月の期間が多くて、Lはスザクにもアムロにもなれなかった。
というより、夜神月の目的のために突っ走るやり方があまりにもサイコじみて急進的なゆえに、前述した他作品のキャラクターたちのように、ミサや魅上やニアがライトの思想に追従できなかった点もある。
というか、夜神月自身、他人を一切信用していない。
Lなら、もしかしたら分かりあえながらも戦えていただろうけど、そうなるのかならないのかは分からないなぁ。
12巻。追い潰されていく月の描き方がものすごい迫力だけど、荒木監督アニメ版デスノートの最終話は、やっぱり同情の余地を入れたかったのかもしれない。これもこれですごく好き。
対等に理解しうる者は、人間において絶対的に必要である。
それは親でも兄弟でも恋人でもセフレでもフォロワーでも5ちゃんで安価つけてきた奴でもいい。
他者というものを慮って、発言や態度を変える。このことによってしか、人間は人間たりえない。
だから、ボタンひとつで他者を断絶できる、「どくさいスイッチ」を押してはならない。
その反面。どくさいスイッチを押すモノを、ぼくはどくさいスイッチで消したい。
ここに、夜神月のような矛盾が生じる。
「優しい世界」のために「優しくない方法」を取る。
ひるがえって、SNS社会とは、なんと残酷なものなのだろう。
歌はよく、「別れてもいつかは会える」というが、SNS社会ではそれは無い。
凶悪ツイッタラーを懲役で矯正し、更生させるようなシステムがSNSには設置されていない。
やれ、世間では外国人入国禁止と総理が言ったそうだ。
これには「まぁ、仕方ないな」と思うけど、形而上学的な政治観で見れば、断絶社会への一歩でもある。
ぼくが数年前、ひとつの界隈からブロックされて、連鎖的に集団ブロックするイジメにあった痛みはまだ忘れられない。
それを病的だ、集団ストーカーという統失だ、とみんなは思うかもしれないけどさ。やはり許し合いたい。
僕はマスク社会も三密もウンザリだ。人間は生身で相対しなきゃ相手のことを理解できないわけないじゃないか。
“誰かが一人笑うたびに別の誰かが絶望してるんだ。そんなもんだなんて言ってさ、また見殺しにするのかい?”
サム、世界を繋げてくれ。
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